国連持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)や、オックスフォード大学などが共同で作成する「世界幸福度報告書」2025年度版によると、日本の幸福度は相変わらず低迷しています。経済力や治安、長寿などは世界トップレベル。食のおいしさに至っては世界一と自認している日本人がなぜ、自らを幸福だと思えないのでしょうか?

インドの民話
昔むかし、インドの欲深い牛飼いAは99頭の牛を飼っていたそうな。牛を100頭にするため、何とかして1頭増やそうと、遠くに住む幼馴染の牛飼いBに、不幸を装い牛を譲って欲しいと頼み込みました。友達思いのBは妻と相談し、たった1頭しかいない牛をAに譲ることに。Aは陰でほくそ笑み、Bは友の役に立てたことを嬉しく思いました。やがてBは、夫婦で努力し周りからも支えられ、国一番の牛飼いとなりました。一方、Aは際限のない欲望にさいなまれ、事業にも失敗してしまいましたとさ、というお話です。
もし、「世界幸福度調査」が牛を譲った1週間後にあるとすれば、結果はどうなると思いますか。恐らくAは200頭の牛を持つ他の誰かを妬み、幸福度は低いでしょう。逆にBは、人の役にたった幸せを感じ、幸福度は高いのではないでしょうか。
大人と子供
日本人に牛飼いAのような人が多いと言いたいのではありません。
基本的な大人と子供の関係では、何かをしてあげる大人と、何かをしてもらう子供がいます。それは当たり前のことで何の問題もありません。しかし中には、いくつになっても、何かをしてもらうままの大人がいるように思います。
インドの民話にあるように、人間は「してもらった喜び」よりも、「してあげた喜び」の方がより深く、確かなもののようです。私は、日本人の幸福度が低いとすれば、子供にとどまっている大人が、諸外国に比べて比較的多いのかもしれないと密かに思っています。
幸せとは、そのときの境遇や状態によるものではなく、その時の心のありように依るものではないでしょうか。希望の朝を迎え、勤勉な昼を過ごし、感謝の夕べを送る。そのことを日々繰り返す心のありようが幸せをもたらすと思っています。