生成AIの人間社会への浸透があらゆる場面で進んでいます。社会に大きな変革をもたらす新しい仕組みが現れるとき、それは必ず光と影を伴うものです。生成AIは、こと知識に限定すれば、人間と同等あるいはそれ以上のレベルの言説を生み出します。そのため、最も信頼できる友人のように感じる人もいるようです。
私は生成AIと人間との今後のあるべき関係性がとても気になっています。

友人チャッピー
親しい友人の伴侶がチャッピーの話をよくします。「この前チャッピーの言うこと聞いたら、えらい目にあったのよ!」と、「えらい目」のことを面白おかしく披露してくれます。後に、私はチャッピーが生成AI(ChatGPT)を親しみやすくするためのニックネームであることを知ったのです。
人生経験を経て自分自身を確立した彼女が、チャッピーを貴重な情報源として、あたかも最近付き合い始めた情報通の若い友人のように活用するのは誠に良いことだと思っています。しかし、自身の中に確固とした人生観・価値観が未だ根付いていない子供たちはどうでしょう。彼らがチャッピーを無二の親友、又は唯一の情報源として頼ることは恐ろしく危険なことです。
知・情・意
もともと人間の判断のプロセスには、知(知識)・情(感情)・意(意志)がバランスよく機能して成り立っています。生成AIは知識の部分をほぼカバーするでしょう。しかし、感情・意志については甚だ心もとないのです。
企業経営においても、経営判断に生成AIによる壁打ちを活用する、という人が増えています。自ら確固とした自己認識があった上で、専門性の高い生成AIで壁打ちすることは何ら問題はありません。ですが、そうでなければ危ういでしょう。くれぐれも、壁打ちしているつもりが、壁に支配されることのないようにしたいものです。