
毎週のように、マスコミやSNSで徹底的なバッシングを受ける新たなターゲットが誕生しています。SNSなどは、匿名性を良いことに残酷な誹謗中傷が頻発します。
そんな時に思い出すのが、国際ジャーナリストの竹田 圭吾氏です。十年ほど前に亡くなられた方なのですが、情報番組のコメンテーターとして活躍していた姿が懐かしいです。竹田氏のコメントは、事象に対する世の中の空気に水を差すことが多々ありました。ある人が徹底的なバッシングのターゲットになっていた時、このように問いかけるのです。「ちょっと待ってほしい、そもそもこれは、本質的に誰の責任なんですか?」と。
空気の研究
山本 七平氏は名著「『空気』の研究」で、「日本において、何かの最終決定者は人ではなく空気である」と書いています。例えば、太平洋戦争の直前には、すでに日本には石油をはじめ先立つものがありませんでした。しかし、戦争突入という空気の中で、誰もそれを言い出せなかったのです。「先立つものは無いぞ!」という発言は、空気に対する一種の水。「日本人よ、空気に支配されず水を差せ。」と山本 七平氏は云っているようです。
あえて水を差す
空気が読めないことをKYと言い、現代の日本では残念な人のたとえにされます。ところが、空気を読みすぎて、これに支配される心配が我々日本人にはあるのかもしれません。
確かに空気を読めないで水を差すのは残念な人です。しかし、空気を読んだうえで、これに支配されず、あえて水を差したのが竹田 圭吾氏であったように思います。
私もそのようにありたいと思います。