サイダー・シャンメリー・ノンアルコール飲料など「ココロのうるおい」をお届けする飲料メーカー

歴史を紡いだ人たち

歴史を紡いだ人たち

翠田 辰次郎

任期(1896~1945年)

初代社長

先見的な理論家

辰次郎は若年期、越中八尾の蚕の種紙(たねがみ)を全国に売り歩いていた。その道中、東京で「文明開化の置き土産」ラムネに出会い、これに生涯をかけようと、1896年(明治29年)、富山市総曲輪にて「翠生舎(すいせいしゃ)」を創業。現在まで続くトンボ飲料の始まりである。 彼は衛生面を重視した「ミスタ式底玉ビン」を考案し、特許を取得し全国にこれを広めた。この特許ビンは当時の朝鮮総督府に評価され指定を受けて、やがて台湾にも進出をした。 辰次郎は先見的な理論家であり、同時に多芸多才、さらに深い情緒をもち合わせた傑物であった。

翠田 邦志

任期(1945~1966年)

2代目社長

不屈の人生

1945年(昭和20年)8月、米軍の富山大空襲により富山市全域が焼失。ラムネ工場も失われた。邦志はその焼跡に立ち尽くすも、すぐさま「トンボラムネ」の再生を決意。直ちに工場を再建し、ラムネの製造を再開した。乾ききった焼け野原の街で、トンボラムネは人々を潤わせたという。 その後も炭酸ガスの自家製造にチャレンジするなど、飽くなき探求心でトンボ飲料(当時は翠田炭酸飲料)を牽引。また数々の社会貢献活動を通じて、地域社会に大きく貢献した人物でもあった。 1966年(昭和41年)、秋の叙勲で勲五等瑞宝章を賜り、同年12月に不屈の生涯を閉じた。

翠田 康志

任期(1967~1993年)

3代目社長

戦略的なリアリスト

昭和21年の夏、海軍から復員して以来、60年以上にわたりトンボ飲料の歴史を創ってきた。現在の当社の基礎や風土は、康志が築いたものである。 康志の功績として、高度成長時代のキャバレーのお土産だったシャンメリーをファミリーユースに育てたことや、ランチェスター戦術に基づき、RCコーラを学校周辺マーケットに浸透させたこと、時代を先駆けて健康飲料の受託生産を大手企業と取り組んだことが挙げられる。 外資飲料会社、大手ビール会社からの激烈な打撃を受ける中で、飲料メーカーとして勝ち残るあらゆる現実的な戦略を駆使してきたリアリストである。2000年勲五等瑞宝章を拝受した。

翠田 福三郎

任期(1993~1998年)

4代目社長

創造的なロマンチスト

戦後のトンボ飲料の歴史を康志と共に担ってきた。 アイスクリームの過大投資から後、資金需要の苦しいトンボ飲料の屋台骨を懸命に支えてきた大黒柱である。 装置産業であるがゆえに、永遠に続く資金需要に対応し、銀行対策、税務対策、株主様対応など、外に出る康志にとって、なくてはならない存在であった。 福三郎は社長就任後、海洋深層水の開発に強い意欲を示した。財務の専門家ではあるが、同時に自然科学を愛する創造的なロマンチストである。

翠田 章男

任期(1998年~)

5代目社長

慎重な楽天家

章男は社長就任にあたり、トンボ飲料の経営理念をまとめた。いつも誠実で前向きに取り組んできたことや、慌てず慎重に、しかし決してその歩みを止めなかったことが、トンボ飲料の100年の歴史であると考えた。 この歴史ある企業をさらに育てる為に、戦略的であろうとする。そのことが彼の経営のすべてである。少子高齢化に着目し、バランス事業に取り組み始めたのも戦略のひとつで いかなる時も「打つ手は無限である」という彼は、とても慎重な楽天家である。